2008/10/28

女の幸せとか言ってるようじゃ

プロフェッショナル仕事の流儀。
今日の放送は、人工心臓の開発の第一人者、野尻知里さんのお話。
京都大学を卒業後、心臓外科医として働いてた彼女は、ある時医療の限界を痛感。39歳の時に人工心臓の開発に携わることとなる。そして、長い年月を費やしてようやく、今日心臓病大国アメリカでの臨床試験が始まった。

「野尻さんにとって、プロフェッショナルとは?」という問いに彼女はこう答えている。
「まず大事なのは、何にパッションを覚えるかを探すこと。それを見つけたら、もうしつこく粘り強くあきらめずやりつづけること。障害があったらそれをスプリングボードにすることだと思います。」

強し。
プロフェッショナルに、男だの女だの関係ない。

私は30歳にして、若干の迷いの時期にある。それは、私がいわゆる結婚適齢期という周辺にあって、「女の幸せ」は何かということを考えるようになってしまったからである。

ごく小さな会社だから、会社員を始めて2年で、社長の次に偉くなってしまった。といっても、社長・私・部下ひとり。3人しかいないから、社内においては立場も何も、あってないようなものだが、常務取締役という肩書きがある以上、取引先の方からは「常務」と呼ばれるし、「常務の対応」が求められる。今の自分と、常務との間に距離がありすぎて、ストレスがハンパない。常識ではありえない立場を経験し、それ相応に向かっていくことは大変にありがたく、恵まれた環境ではあるが、一方で、与えられた沢山の仕事を順番にこなしていく方が楽だな~とも思う。そこに絡んでくるのが「女の幸せ」とは何かということなのである。もしかしたら、それとこれとは別々に考えるものではないのかも知れないけれど。

ビジネスマン根性を叩き込まれる毎日にあると、おのずと経営に興味が湧いてくる。こういうことで社会に貢献してみたい!という漠然とした夢を持ちつつも、でもそれではなんだか自分が鉄の鎧を着たかわいくない女であるような気がして、常に勝手に葛藤する日々。

ツヨイ女は近寄りがたい。
つまりモテない。
という謎の自論を持っていたからだろう。
要するに、自分が他人にとってどう見えるのかが気になっているということなのだ。


今日、プチ失恋をした。


どちらにしろ、モテないということである。


野尻さんに、「中途半端にやってないで、興味があることは興味があるうちにとことん突き詰めろ!」と言われているような気がして、テレビの前でひとり恥ずかしかった。

空の青さを見つめていると


『空の青さを見つめていると』


空の青さを見つめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空へは帰ってゆかない

陽は絶えず豪華に捨てている
夜になっても私たちは拾うのに忙しい
人はすべていやしい生まれなので
樹のように豊かに休むことがない

窓があふれたものを切り取っている
私は宇宙以外の部屋を欲しない 
そのため私は人と不和になる

在ることは空間や時間を傷つけることだ
そして痛みがむしろ私を責める 
私が去れば私の健康が戻ってくるだろう


今日は雲ひとつない青空だ。
ふと、谷川俊太郎の詩『空の青さを見つめていると』を思い出した。

青空の先に、宇宙が透けて見えるような気がした。
昔バイト先で谷川俊太郎の本を貸してくれたあの子はどうしているかな。と、思ってみたり。



2008/10/27

無難だね。


30代にもなると、合コンで出会う相手が痛風だったりする。

相手が関西人で、
「好きなお笑い芸人を3つ挙げてみて。それであなたのセンスが解るわ。」
と言われ、
「笑飯。」
と答えると、
「無難だね。」
と真顔で言われたりする。

もしだよ、もし私が逆の立場だったら、「どうして?」とか、「どのネタがすきなの?」とか色々と聞いてみる。その話の中で、何か相手の素顔が見えてくるかもしれないじゃん。
そもそも、「無難だね。」というのは、何の基準値に則して判断が下されたのだろうか?もしあの時私が「小藪千豊。」と答えていれば、どんなジャッジだったのだろうか?話は広がった?私の「ポイント」が上がった?誰に何と言われようと、私は笑飯があのスタイルでM-1を制覇することを願っているのだ!

私に「無難な女」と判断を下したその瞬間に、私だって「その程度の男」という判断を下していたのである。

「出会い」とは奇跡である。それを求めるならば、偶然を待つだけではなく、自分自身の、他者やものを受け入れようとするスタンス(受容態勢)が必要だと思う。

相手を受け入れようとする、私の準備が足りなかったのだろうか?それとも、高望をし過ぎているのだろうか?慎重になり過ぎているのだろうか?

奇跡に巡り合うには、程遠いような気がした。


2008/10/25

脳とこころを考える②

「脳とこころを考える」という講座の第二回。
仕事を18時10分に切り上げて、恵比寿駅までダッシュ。
新宿に着いたのが18時25分。
あと5分で始まる。
さらにダッシュダッシュ!!

教室に着いた時には18時35分を回っていたが、まだ茂木さんは入ってきていなかった。
よかった~。けど、のどがカラッカラ。2時間もつかしら。
席に着こうとしたら、座ろうとした後ろの席の奥様が、何かぐじぐじ言ってる。「そこ座ったらみえな~い」的な雰囲気。「えっ?」と言って振り返ったら、「いやいや別に」みたいな雰囲気。

茂木さんが、人の心の不定に触れることこそが生の実感を与える、という話をする。
theory of mind(心の理論)=不良設定問題。
「他人と関わって、偶有性(contingency)に触れたときにこそ、人は生きることを実感する。」と茂木さんはおっしゃった。日々感じる不安、それはまさに生きているという実感。その不安は他人との関わりがあってこそ初めて生まれる。と解釈したけれど。合っているのかな~。
参考として、小津安二郎監督の『東京物語』を観る。

クラスが終わって、私の中で、前回のレクチャーからずっと引きずっていたことについて質問をしようとしたが、小心者ッぷりをいかんなく発揮して、できなかった。質問は、一目ぼれの原理について。扁桃体が大脳新皮質より先に無意識に反応した時に、一目ぼれが起きるらしいのだが、じゃあどうして、その無意識の反応は起きるのか?ということだ。

私はいつもこうしてタイミングを逃す。

住友生命ビルから新宿駅まで、動く歩道というのがあって、(その歩道は動いていないのだけれど)それに沿って屋根の付いた道が続いている。
クラスの帰り道、この道を歩く時は、なぜか決まって、自分だけスローモーションの世界に入ってしまったような錯覚に陥る。道行く人はみな私をどんどん追い越していって、騒がしい夜の新宿の騒音も聞こえているような聞こえていないような。移動中は必ず使うipodの音楽もいらない。今日のレクチャーのことを色々噛み砕いているような、いないような。ボーっとしているようで、とても複雑なことを考えているような、いないような。と思えば、突然「あ、ニットカーディガンが欲しいな」とか思ってみたり、「ここのコージーコーナーでケーキ買って帰ろうかな~。でも渋谷でも買えるな~。ってこれ、前回も思ったな~。」とか思ってみたり。

その「放心状態」は、渋谷駅からバスに乗り換えるころに少しずつとけてきて、バスの中でようやくipodのイヤホンをはめる。それでもまだ、音楽を聴いているようで、聴こえていないような。そんな感覚は続くのだ。この状態からさめていく感覚は、なんていうんだろう。一晩中、むくみ防止の圧着ソックスを履いて寝て、朝脱いだ時に徐々に素足の感覚を取り戻していくような。熱が下がって、頭がすっきりしていくような。

この感じは一体何なんだろう。
とにかく、それが快感であることは間違いないのだが。

2008/10/24

SATCから学ぶアンチエイジング

寂しい秋の夜長。毎晩SATCを1話観てから眠るのが日課と化している。他のDVDでもいいのだが、海外ドラマは1話が短くて、さらにSATCの場合は、1つのエピソードの終りが「やべー次の話チョー気になるぅ」という感じでは終わらないから、睡眠導入剤としてもってこい。

昨日観たのは、シーズン4のDefining Momentsというエピソード。ビックとおかしな友人関係に戻ったキャリーは、ビックと訪れたジャズレストランでミュージシャンのレイと出会う。お互いに惹かれあって、デートの約束をする。しかし、ビックは当然それが面白くない。


「あんな男のどこがいい?口臭がひどい男だ。」



と言って、キャリーとの中を壊そうとする。

このビックの発言、単にレイを馬鹿にしているかのように思えるが、実はかなり医学的根拠(知見)に基づいた話だったのである。

活性酸素研究の第一人者である、京都府立医科大学大学院の吉川敏一教授の最新の著書、『アンチエイジング教室』が今日Amazonから届いた。その本の中にこんな見出しがあった。

「口臭のある男とのキスはNG」

え~ちょっとまって!これビックの言葉とリンクするじゃん。と思って、いそいそとページをめくると、こう書いてある。

抗加齢医学の立場からすると、口の中の若さをいかに維持するか、も非常に重要なことなのです。
―中略―
虫歯があったり、歯周病だったり、唾液が少なかったり…と、口の中の健康は口臭の原因にもなります。口臭を気にして、口臭予防や消臭のスプレーやサプリメントを使うのは木を見て森を見ず。キスをする前にそういったものを使うのも姑息です。そんな事をする前に、まず、歯医者に行って口臭をなくしなさいと私は言いたい。
-中略-
口臭をスプレーで消してごまかすなど時代遅れもいいところ。もしあなたが独身なら、私は声を大にして言いましょう。

『口臭のあるような男と付き合っちゃいかんよ。』


さっすが。さっすがビック。いろいろと解っていらっしゃる。

あ~、キスしてぇ。
私のMr.BIGはいずこに~。

2008/10/23

最近のオモロー

最近の私の興味のベクトルはもっぱら脳と皮膚に向けられている。

「ビタミンC誘導体」というのは、通常壊れやすく、不安定なビタミンCに、リン酸やパルミチン酸などと合成することによって安定化させたもの。これによって、酸化しやすいビタミンCを化粧品に配合することができるようになったのである。効果はというと、ニキビやニキビ跡、美白(シミの予防)などに効果があるといわれている。つまり抗酸化作用があるということだ。 (酸化=老化)
一般に市販されている製品はもちろんのこと、多くの皮膚科やクリニックが開発した化粧品にも多く採用されている。

しかし、この「ビタミンC誘導体」、生のビタミンCに比べて活性が劣るため、ビタミンCの効果を化粧品レベルで実感するには、ビタミンCをビタミンCのままメラノサイトまで届ける必要があるのでは…と考えた会社がある。そして開発された成分が「ビタミンC生命体」である。
「ビタミンC生命体」は、ビタミンCのまま、真皮にまで浸透し、効果を発揮するという。

親和性の高いリポソーム構造の中にビタミンCを配合したということだろうか。。。?
真皮にまで成分が届くかどうかはおいといて、試してみる価値はあるかも。

抗酸化成分というのは、それ自体が酸化しやすい性質であるため、安定させ、化粧品やサプリメントに配合させるのは難しい。
例えば、富士フィルムが開発したアスタリフトは何が画期的かというと、「アスタキサンチン」という抗酸化成分を、独自の技術によって開発した、ナノコラーゲンの膜の中に閉じ込めて、安定化させたことにある。
その他、抗酸化成分を生体内で有効利用するものとして注目すべき技術は、「シクロデキストリン」に包摂する方法。市場で人気のあるアスタキサンチン、COQ10、α-リポ酸などをサプリメントで摂取する場合、原材料に「環状オリゴ糖」が入っている方がより効果があるといえる。

抗酸化成分配合の化粧品、サプリメントの効果を得たい時、無駄なお金を使いたくない場合には、ただ配合されているかどうかではなく、どのようなかたちで配合されているか、またその配合量にまで注目する必要がある。


私には、あまり効果の期待できない商品がバカ売れする現状を変えることができるのだろうか。
本当にいいものが、派手に広告を打てる一流企業の製品に負けない市場をつくることができるだろうか。



ある意味、「気休めの効能」というのも脳科学的には注目したい点ではあるが。

2008/10/22

雑種であれ!


最近の贅沢は帰り道の1人ビール。
自らビールを注文して、しかも1人で飲む日が来るなんてね。
オトナなったのかしら。
ビールを飲みながら、発表会の衣装について考えた。
現在私は、会社員とダンス講師を仕事にしている。
といっても、その割合は9対1で、メインは会社員の方。
しかし不思議なことに、会社に入って、ダンサーとして人前でパフォーマンスをすることを辞めてから、教えるコツが「わかった」という瞬間があった。そして生徒が一気に増えた。それは、あれだけダンス中心にやって来た生活はなんだったんだろうと思うような体験だった。だから、ますます面白くなって、ダンス講師を辞められずに今日まできた。
最近読んだ茂木さんの本にこんな一説があった。
『一つのカルチャーしか知らない人は弱いです。たとえば、自分が所属している組織の文化しか知らない人というのでは、どうも頼りなく、心細い。』
超なるほど。
いわゆる「仕事ができる」人になる為には、「雑菌性」、「雑種性」を身につける。つまり、様々な文化や未知の世界に触れて、人間としての「総合力」を強化しなければならないというのだ。
これを読んだときの「なるほど度」、略して「なるほ度」はハンパじゃなかった。
まとめて「超なるほ度」。
もういいか。
ダンス講師は会社での自分に、会社の仕事はダンス講師としての自分にプラスになったのだと思った。だから、はじめは自分がもうクラブやステージに立たないことに引け目を感じてスタジオに行っていたけれど、今は堂々とした気持ちで行っている。
「異質なものとの出会い」
これは、高校の時、現代文の教科書に出てきた言葉で、私のすきな言葉だが、まさに、人生とは異質なものとの出会いの連続なのだということを、茂木さんの本を読んで改めて痛感した。




2008/10/21

パーポー

完全に間違えた。
ごはんを作って、さぁ食べよう♪
と思ったら…
見事に全てが紫色だった…。
全部茶色っていうのはまぁよくあることだけど。



あれれ。画像が逆さだよ。

十六穀米、なす、さつまいも、そしてお箸までも。
パーポー。オールシングスアーパーポー。
どんだけ体がアントシアニンを欲していたんだろうか。
しかも、お昼もなすの肉詰めを食べたんだった…。



今日は疲れた~。

暴走しているのはどっち…?

蒟蒻ゼリーで有名なマンナンライフが、消費者庁の指導を受け、 蒟蒻ゼリーの製造を中止した。理由は幼児がゼリーをのどに詰まらせる死亡事故が起こったことにある。

国は、この事故の責任はメーカーにあると判断したわけだが、果たしてそうだろうか?

メーカーはお年寄りや乳幼児に食べさせないように、パッケージに 注意喚起を行っていたし、形状も以前より小さくして販売していた。
それでも食べさせてしまった親に責任はないのだろうか?
何でもかんでもメーカーの責任にするのは消費者を守ることとではない。
お餅をのどに詰まらせて死亡する事故は多く発生しているし、
それ以外の食べ物や、食べ物以外のものの誤飲による事故は起きている。
なぜ、マンナンライフだけが槍玉に挙げられなければならないのか。
消費者を守るための機関ならば、まず、汚染米の流通問題や、中国産の 食品による健康被害・不安をなくすことの方が先決だろう。

商品のパッケージは注意喚起で埋め尽くされているし、また、街を歩けば注意書きに囲まれていることに気づく。
バスの中では、
「止まってから席をお立ちください」
「危ないですから吊皮や手すりにおつかまりください」
「車内に空き缶や紙くずを捨てないでください」
というアナウンスが繰り返される。
まるで幼稚園バスのよう。

What a beautiful country it is!
まさに「美しい国日本」だね!!

行きすきた規制は産業を小さくする。
我々は消費者であると同時に、事業者、又はその社員でもある。
その両方の立場を考えれば、一方的にメーカーの責任と決めつけることはできないと思うのだが。


参考:消費者庁のHPより抜粋
米国連邦取引委員会(FTC)の建物には写真(上)のようなアールデコの暴れ馬を男性が制する像がある。馬は自由市場を現し、男性は国家を象徴している。市場は放任しておいては暴走し、強者の無謀を許し、弱者の自由を奪う。そこで、国家には公正な市場確保のための規制をする権利と義務がある。自由主義を自由放任主義と混同してはならない。消費者庁の実現こそ、消費者、事業者ともに潤う健全な市場形成に貢献する。

2008/10/18

北浦和のマック


昨日、とある用事で北浦和まで出かけた。
赤羽から京浜東北線に乗り換えて、さらに十数分。
この日は朝から予定がいっぱいでまともに食事をしていなかったから、お腹がペコペコで、車内のモニターで流れる「マックリブ」のCMを見ていて、どうしようもなくマックリブが食べたくなった。

用事が済んでからすぐに駅前のマックに入った。
念願のマックリブ!
今年2回目のマックリブ!!

一口ほおばって、
やはり、マックはビックマックが1番おいしいなぁ…
ビックマックにすればよかったなぁ…と、思った。
そして、前回食べた時にもそう思ったことを思い出した。

ここのマックは、勉強をする高校生が多くいた。みんな、「100円マック」のドリンクを1つだけオーダーして、それを傍らに自習している姿は、とてもかわいい。
渋谷のマックは若者たちの話し声で、同じテーブルの会話も聞こえないほど騒がしいのだが、ここのマックは違う。同じマックでも、色んな色があるもんだなぁ…と思っていると、新たな男子学生がまた一人、勉強道具を抱えてやって来た。大体が100円のドリンクをオーダーしている中、彼のチョイスは「ホットアップルパイ」1つ。しかも水ももらっていない。

私の飲みかけのコーラをあげたくなった。
いや、むしろ、コーラをおごってあげたいくらいだった。
だってさすがに、アップルパイのみってのはきついでしょ~。
お小遣いが少ないけど、小腹も減ってたんだろうな~。
かわいいなぁ。

彼は、そんな私の勝手な心配をよそにさっさとアップルパイをたいらげ、数学の教科書を広げた。