2008/10/25

脳とこころを考える②

「脳とこころを考える」という講座の第二回。
仕事を18時10分に切り上げて、恵比寿駅までダッシュ。
新宿に着いたのが18時25分。
あと5分で始まる。
さらにダッシュダッシュ!!

教室に着いた時には18時35分を回っていたが、まだ茂木さんは入ってきていなかった。
よかった~。けど、のどがカラッカラ。2時間もつかしら。
席に着こうとしたら、座ろうとした後ろの席の奥様が、何かぐじぐじ言ってる。「そこ座ったらみえな~い」的な雰囲気。「えっ?」と言って振り返ったら、「いやいや別に」みたいな雰囲気。

茂木さんが、人の心の不定に触れることこそが生の実感を与える、という話をする。
theory of mind(心の理論)=不良設定問題。
「他人と関わって、偶有性(contingency)に触れたときにこそ、人は生きることを実感する。」と茂木さんはおっしゃった。日々感じる不安、それはまさに生きているという実感。その不安は他人との関わりがあってこそ初めて生まれる。と解釈したけれど。合っているのかな~。
参考として、小津安二郎監督の『東京物語』を観る。

クラスが終わって、私の中で、前回のレクチャーからずっと引きずっていたことについて質問をしようとしたが、小心者ッぷりをいかんなく発揮して、できなかった。質問は、一目ぼれの原理について。扁桃体が大脳新皮質より先に無意識に反応した時に、一目ぼれが起きるらしいのだが、じゃあどうして、その無意識の反応は起きるのか?ということだ。

私はいつもこうしてタイミングを逃す。

住友生命ビルから新宿駅まで、動く歩道というのがあって、(その歩道は動いていないのだけれど)それに沿って屋根の付いた道が続いている。
クラスの帰り道、この道を歩く時は、なぜか決まって、自分だけスローモーションの世界に入ってしまったような錯覚に陥る。道行く人はみな私をどんどん追い越していって、騒がしい夜の新宿の騒音も聞こえているような聞こえていないような。移動中は必ず使うipodの音楽もいらない。今日のレクチャーのことを色々噛み砕いているような、いないような。ボーっとしているようで、とても複雑なことを考えているような、いないような。と思えば、突然「あ、ニットカーディガンが欲しいな」とか思ってみたり、「ここのコージーコーナーでケーキ買って帰ろうかな~。でも渋谷でも買えるな~。ってこれ、前回も思ったな~。」とか思ってみたり。

その「放心状態」は、渋谷駅からバスに乗り換えるころに少しずつとけてきて、バスの中でようやくipodのイヤホンをはめる。それでもまだ、音楽を聴いているようで、聴こえていないような。そんな感覚は続くのだ。この状態からさめていく感覚は、なんていうんだろう。一晩中、むくみ防止の圧着ソックスを履いて寝て、朝脱いだ時に徐々に素足の感覚を取り戻していくような。熱が下がって、頭がすっきりしていくような。

この感じは一体何なんだろう。
とにかく、それが快感であることは間違いないのだが。

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