プロフェッショナル仕事の流儀。
今日の放送は、人工心臓の開発の第一人者、野尻知里さんのお話。
京都大学を卒業後、心臓外科医として働いてた彼女は、ある時医療の限界を痛感。39歳の時に人工心臓の開発に携わることとなる。そして、長い年月を費やしてようやく、今日心臓病大国アメリカでの臨床試験が始まった。
「野尻さんにとって、プロフェッショナルとは?」という問いに彼女はこう答えている。
「まず大事なのは、何にパッションを覚えるかを探すこと。それを見つけたら、もうしつこく粘り強くあきらめずやりつづけること。障害があったらそれをスプリングボードにすることだと思います。」
強し。
プロフェッショナルに、男だの女だの関係ない。
私は30歳にして、若干の迷いの時期にある。それは、私がいわゆる結婚適齢期という周辺にあって、「女の幸せ」は何かということを考えるようになってしまったからである。
ごく小さな会社だから、会社員を始めて2年で、社長の次に偉くなってしまった。といっても、社長・私・部下ひとり。3人しかいないから、社内においては立場も何も、あってないようなものだが、常務取締役という肩書きがある以上、取引先の方からは「常務」と呼ばれるし、「常務の対応」が求められる。今の自分と、常務との間に距離がありすぎて、ストレスがハンパない。常識ではありえない立場を経験し、それ相応に向かっていくことは大変にありがたく、恵まれた環境ではあるが、一方で、与えられた沢山の仕事を順番にこなしていく方が楽だな~とも思う。そこに絡んでくるのが「女の幸せ」とは何かということなのである。もしかしたら、それとこれとは別々に考えるものではないのかも知れないけれど。
ビジネスマン根性を叩き込まれる毎日にあると、おのずと経営に興味が湧いてくる。こういうことで社会に貢献してみたい!という漠然とした夢を持ちつつも、でもそれではなんだか自分が鉄の鎧を着たかわいくない女であるような気がして、常に勝手に葛藤する日々。
ツヨイ女は近寄りがたい。
つまりモテない。
という謎の自論を持っていたからだろう。
要するに、自分が他人にとってどう見えるのかが気になっているということなのだ。
今日、プチ失恋をした。
どちらにしろ、モテないということである。
野尻さんに、「中途半端にやってないで、興味があることは興味があるうちにとことん突き詰めろ!」と言われているような気がして、テレビの前でひとり恥ずかしかった。
2008/10/28
空の青さを見つめていると

『空の青さを見つめていると』
空の青さを見つめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空へは帰ってゆかない
陽は絶えず豪華に捨てている
夜になっても私たちは拾うのに忙しい
人はすべていやしい生まれなので
樹のように豊かに休むことがない
窓があふれたものを切り取っている
私は宇宙以外の部屋を欲しない
そのため私は人と不和になる
在ることは空間や時間を傷つけることだ
そして痛みがむしろ私を責める
私が去れば私の健康が戻ってくるだろう
今日は雲ひとつない青空だ。
ふと、谷川俊太郎の詩『空の青さを見つめていると』を思い出した。
青空の先に、宇宙が透けて見えるような気がした。
昔バイト先で谷川俊太郎の本を貸してくれたあの子はどうしているかな。と、思ってみたり。
2008/10/27
無難だね。

30代にもなると、合コンで出会う相手が痛風だったりする。
相手が関西人で、
「好きなお笑い芸人を3つ挙げてみて。それであなたのセンスが解るわ。」
と言われ、
「笑飯。」
と答えると、
「無難だね。」
と真顔で言われたりする。
もしだよ、もし私が逆の立場だったら、「どうして?」とか、「どのネタがすきなの?」とか色々と聞いてみる。その話の中で、何か相手の素顔が見えてくるかもしれないじゃん。
そもそも、「無難だね。」というのは、何の基準値に則して判断が下されたのだろうか?もしあの時私が「小藪千豊。」と答えていれば、どんなジャッジだったのだろうか?話は広がった?私の「ポイント」が上がった?誰に何と言われようと、私は笑飯があのスタイルでM-1を制覇することを願っているのだ!
私に「無難な女」と判断を下したその瞬間に、私だって「その程度の男」という判断を下していたのである。
「出会い」とは奇跡である。それを求めるならば、偶然を待つだけではなく、自分自身の、他者やものを受け入れようとするスタンス(受容態勢)が必要だと思う。
相手を受け入れようとする、私の準備が足りなかったのだろうか?それとも、高望をし過ぎているのだろうか?慎重になり過ぎているのだろうか?
奇跡に巡り合うには、程遠いような気がした。
相手が関西人で、
「好きなお笑い芸人を3つ挙げてみて。それであなたのセンスが解るわ。」
と言われ、
「笑飯。」
と答えると、
「無難だね。」
と真顔で言われたりする。
もしだよ、もし私が逆の立場だったら、「どうして?」とか、「どのネタがすきなの?」とか色々と聞いてみる。その話の中で、何か相手の素顔が見えてくるかもしれないじゃん。
そもそも、「無難だね。」というのは、何の基準値に則して判断が下されたのだろうか?もしあの時私が「小藪千豊。」と答えていれば、どんなジャッジだったのだろうか?話は広がった?私の「ポイント」が上がった?誰に何と言われようと、私は笑飯があのスタイルでM-1を制覇することを願っているのだ!
私に「無難な女」と判断を下したその瞬間に、私だって「その程度の男」という判断を下していたのである。
「出会い」とは奇跡である。それを求めるならば、偶然を待つだけではなく、自分自身の、他者やものを受け入れようとするスタンス(受容態勢)が必要だと思う。
相手を受け入れようとする、私の準備が足りなかったのだろうか?それとも、高望をし過ぎているのだろうか?慎重になり過ぎているのだろうか?
奇跡に巡り合うには、程遠いような気がした。
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